「漫画はもう終わった」言説を知っていますか?
物語が終わってしまったことに結論を出さないと、先へは進めないわけです、作り手としては。評論家は言ってくれない、漫画はもう終わったと、映画も音楽も、もう終わったんだと。今残っているのはポピュラリティというか、売れるか売れないかだけになってしまった。
(いがらしみきお,1994,「いがらしみきお ヌルチメディア宣言・完全解説読本」『PC-PAGE GURU』7月号, 翔泳社,pp. 138-139)
いがらしみきおがコンピュータ雑誌『GURU』のインタビュー記事で「漫画はもう終わった」という言葉を発した。1990年代に猛威を振るった漫画が「つまらなくなった」言説の総決算とも言えるような記事で、マンガ評論雑誌『COMIC BOX』で特集「まんがは終わったか?」が組まれるほど、漫画界にインパクトを与えた。
そもそも、漫画は’70年代に全盛期、’80年代に過渡期を迎え、’90年代は停滞期に入り、四方田犬彦や夏目房之介らによる表現論中心の漫画論が話題となってから、「内容主義」から「表現論」へと移行したことで、「人気」や「セオリー」に甘んじて人気漫画に寄せた「漫画」が乱立していた。特に、いがらしのインタビュー記事が掲載された1994年は、人気長期連載漫画が続々と終了したものの、漫画家と看板作品が不振の年であった。その一方で、マンガ雑誌の創刊号は増加していた。この現状に対し、いがらしは「「質」が問題ではなく、「量」が問題」「「量」というものは、いずれすべてを崩壊させ、変質させる」*1と危機感を抱いていた。
*1 いがらしみきお, 1995,「ぼのぼの・つぶやく……いがらしみきお特別インタビュー」『COMIC BOX』ふゅーじょんぷろだくと
そのようなマンガの黄金時代である’70年の呪縛に囚われていた1994年に、いがらしが「漫画はもう終わった」と啖呵を切った。
【漫画家・いがらしみきお】
いがらしみきおは、宮城県加美郡中新田町(現在は加美町)出身で、現在は宮城県仙台市に在住している宮城県を代表するマンガ家である。本名は五十嵐三喜夫である。 いがらしは三流劇画誌『漫画エロジェニカ』で「タマガワラキュージョーの乱」を持ち込んでマンガ家としてデビューした。当時は過激な自虐的ギャグと哲学的なマンガで人気マンガ家となった。さらに、『あんたが悪いっ』で第12回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞するなど、いがらしのギャグマンガは国内で高い評価を得ていた。いがらしの作風は永島慎二の影響を強く受けており、その影響は当時の私生活にまで及び、1973年にいがらしは「フーテン」生活(定職に就かない放浪生活)を送っていた(付録参照)。 休筆後のいがらしはマンガ史、特に4コママンガの歴史の中で4コママンガの物語構築の技法の解体を行う「脱構築」という功績を残した。当初、『ぼのぼの』は4コママンガの基本的な構造である起承転結というオチのある物語から脱却し、4コママンガの新しい可能性を切り拓いた画期的な作品であった。さらに、4コママンガが4コマのみで起承転結を成して単体で完結する形式から、単体の4コママンガで完結せず、複数の4コママンガで1つの物語を形成する形式、すなわち「ストーリー四コマ」へと4コママンガの主流がシフトしたのはいがらしの影響も少なからずあると言ってもよいだろう。読み手に4コママンガの外部にある物語の延長線を想像させる余地を与えた。 現在もいがらしは、『ぼのぼの』を執筆し続けており、日本で著名なマンガ家である。『ぼのぼの』のアニメをはじめ、「ぼのぼの」のキャラクター商品は現代日本の若者に愛されている。しかし、デビュー当時のイメージとは異なり、『ぼのぼの』のような哲学的かつほのぼのとした作風の「キャラクター」を描いているマンガ家として知られている。
本当に「まんがは終わったか?」
「終わった」というのは、我々が、漫画というものの過去と未来に対して見ていたイメージのことです。「漫画」というメディアはまだ終わりません。
(中略)
なぜ終わったと感じるのかというと、漫画というものの持つ、「翻訳し再構成するもの」という特質が、テレビなり、ゲームなり、他のメディアに、もっとも効率のよい形で受け継がれてしまったからです。(太字原文ママ)
(中略)
そして、他のメディアによって翻訳し再構成された自らをも、また翻訳し再構成しようとさえしているのが現在の漫画の姿でしょう。(太字原文ママ)
(いがらしみきお, 1995,「ぼのぼの・つぶやく……いがらしみきお特別インタビュー」『COMIC BOX』ふゅーじょんぷろだくと, pp. 1-4)
いがらしはインタビュー記事発表1年後、『COMIC BOX』にて漫画の未来について語っている。「漫画はもう終わった」言説を残したいがらしは漫画の未来を悲観的に見ていたわけではない。むしろ、時代の変化に伴ってマンガの役割が変化したため、他のメディアとの関係性を意識することを喚起していたのである。
いがらしが「メディア」に着目した要因として考えられることは、休筆期間中に没頭した「マイコン(パソコン)」である。
いがらしは1898年にPC-9801VXを購入してマイコン(パソコン)に没入した。マイコン(パソコン)のようなメディアにマンガの「再翻訳」という役割が奪われてしまったことを感じると同時に、そこに「新たな可能性」を見出した。パソコンとインターネットの双方性に触れたことで、漫画の現在の姿の限界を知り、他のメディアとの融合によって漫画は新たな可能性を得ると考えたのではないだろうか?
だからこそ、コンピュータ雑誌である『GURU』で「漫画はもう終わった」と発言したのだろう。
漫画家による「データベース」理論:漫画家と読み手の共同作業
物語は、エピソードとエピソードをつなぐことからできあがります。ところが今は、エピソードからエピソードをつなぐテクニックみたいなものが、完全に飽和状態になっている。 (中略) 新しいエピソードのつながりは誰にも、もう考え付かないんじゃないかと思ってるとこがあります。だから間のつながりを、もう取ってしまえばいいんじゃないかと。今はそれで、もうかまわないんじゃないかと。だから逆に見る人が意味を見つけないといけなくなった。そう考えて、単なるデータベースみたいなものを作ろうと思ったんです。
(いがらしみきお,1994,「いがらしみきお ヌルチメディア宣言・完全解説読本」『PC-PAGE GURU』7月号, 翔泳社,pp. 138-139)
いがらしは、マンガの「物語」におけるエピソード同士のつながりの新たなパターンをマンガ家自身で生み出すことに限界が生じたため、エピソード単体の「データベース」を作り、そのつながり自体は漫画家が作るのではなく読み手の想像力に委ねようと考えていた。つまり、いがらしは漫画家と読み手の共同作業によって漫画文化を築き上げることを目指していたのである。
いがらしはマンガの「物語」について語るうえで「データベース」というパソコン用語を使用しているが、「物語論」「データベース」と聞いて多くの人が東浩紀が展開している「データベース理論」を思い浮かべたのではないだろうか?東(2001)*2 は2000年代に「データベース」消費論を唱えたが、いがらしは1994年、すなわち1990年代にすでに読み手による「データベース」消費を漫画家の視点から捉えていた。
*2 東浩紀,2001,『動物化するポストモダン』講談社.
※「データベース消費」解説 東(2001)によると、近代文学は登場人物のリアルな描写を通して展開されたが、ポピュラーカルチャー の文芸は過去の作品から消費者の選好によって選出された断片としてのデータの集合である「データベース」として存在する。東(2001)は「シミュラクール 」の成立、そして「大きな物語の衰退」が生じることでデータベース消費が成立したと考えた。簡単に言うと、東(2001)によるデータベース理論は、消費者が「データベース」から自分の好みに応じてデータを選出し、それを消費しているという理論である(図2)。つまり、「キャラ」は「物語」の中で決定されたものではなく、自律的に存在し、物語の中に存在しないと成立できないものではなくなったということである。データベースから断片的に抜き出されたデータ、すなわち「キャラ」は「私」が自由に消費でき、「キャラ」も「私」も物語から解放されたと東(2001)は主張している。
いがらしの「データベース理論」の実践はまぎれもなく『ぼのぼの』であろう。インタビュー記事掲載年である1994年は、『ぼのぼの』の作風が「キャラクター」重視へと変わった1995年頃と概ね一致している。つまり、登場キャラクターが増加し、キャラクターの日常を描いたエピソードが増加した1995年以降の『ぼのぼの』はエピソードのデータベース作成の実践であったと推察できる。
【漫画『ぼのぼの』】
『ぼのぼの』とは、いがらしみきおの代表作であり、1986年から現在に至って『まんがライフ』で長期連載している4コママンガである。 『ぼのぼの』の作風は大きく3つの流れに分けることができる。 第1巻は4コママンガの「起承転結」からの脱却が作風に表れている。第1巻発売は1980年代(1987年)である。1990年代に入る前までは、「ぼのぼの」というキャラクターに焦点を当てた作風ではなく、「オチ」のない4コママンガで登場人物の日常を徒然と描くことに重点を置いていた。 第2巻から第9巻までは8コマ以上のマンガ形式で、寓話的な作風になった。これが1回目の作風の転機である。 そして、第10巻から「キャラクター」の日常を描く作風に変化した。これが2回目の『ぼのぼの』の作風の転機である。この転換期が1994年の「漫画はもう終わった」言説の時期と重なっている。また、1995年には『忍ペンまん丸』も連載を開始しており、「キャラクター」を意識した漫画の執筆に力を入れていたことが分かり、『ぼのぼの』もいがらしの「キャラクター」観が色濃く反映されていたと考えられる。 さらに、2回目の「キャラクター」重視の作風への転換期に、「キャラ」被りを意識した登場キャラクターの構成が行われている可能性がある。例えば、『ぼのぼの』に登場するシマリスくんは、「…でぃす」という「キャラ語尾」*3を使用している。また、登場した当初のシマリスくんは「いぢめる?」発言から分かる通り、ぼのぼのと共にいじめられる「キャラクター」として描かれていたが、アライグマくんからぼのぼのをかばうような「キャラ」に変化している。そして、シマリスくんの性格が「強く」なっていくとともに、ぼのぼのがアライグマくんと一緒に登場するエピソードにシマリスくんが登場しなくなった。逆に、ぼのぼのがシマリスくんと一緒に登場するエピソードではアライグマくんは登場しない。これは、いがらしが意識的なのか無意識的なのかは分からないが、「キャラ」被りを意識した結果であると推測する。このいがらしの「キャラ」被りを避ける態度は、現代における「キャラ」被りに対するタブー意識と通ずるものがある。 *3 西田隆政,2010,「「属性表現」をめぐって―ツンデレ表現と役割語の相違点を中心に―」『甲南女子大学研究紀要 文学・文化編』46, pp. 1-9.
「メディア」×「漫画」から生まれる「新しい物語」
(新しい物語りを語るのに、コンピュータ以外のメディアでは、なぜダメなのか?という問いに対して)特にコンピュータである必要はありませんし、コンピュータから「新しい物語」が生まれる可能性もそう高くないだろう、という予感もワタシにあります。
我々にとっての物語とは同じ時代に生きている脳ミソ同士が理解できる範囲のものでしかありません。
(中略)
つまり、私がコンピュータに期待したのは、あくまで「脳ミソに理解できないもの」を創ることと「脳ミソに理解できないこと」を人間に伝えること
です。 (太字原文ママ)
(いがらしみきお, 1995,「ぼのぼの・つぶやく……いがらしみきお特別インタビュー」『COMIC BOX』ふゅーじょんぷろだくと, pp. 1-4)
「まんがはもう終わった」言説は、いがらしがマンガの行く末に見切りをつけた論考ではなく、他のメディアとの融合によって、漫画の「新たな可能性」を見出す前向きな提案であった。いがらしは漫画家として漫画界の未来を危ぶんでいたからこそ、時代と共に発展していくパソコンのようなメディアが人間にはできない「新たなもの」を作ることや、それを人間に伝えることに期待したのである。
さて「AI」との付き合い方を考えよう
いがらしはコンピュータに「「脳ミソに理解できないもの」を創ることと「脳ミソに理解できないこと」を人間に伝えること」を期待した。いがらしのこの発言から私が想起したのは、漫画界が「AI」に期待できることである。
- 縦スク漫画、WEBTOONは「スマートフォン」というメディアから生み出された漫画の「新しい形」と言える。
- 漫画は時代とともにメディア・デバイスに合わせて、「翻訳し再構成するもの」という特質を変容させている。
- 横読みの漫画文化に慣れている日本人も、スマートフォンを当然のように使いこなし、電子書籍が身の回りにあふれていて、日常的にWeb漫画を読んでいる現代では縦スク漫画、WEBTOONに対する抵抗感がなくなりつつある。
- 現状AIは「ZPD(最近接発達領域;何か支援があれば達成・成長できる伸びしろ)の足場かけ」という理解が強い。
- AIを駆使するスキルの評価 VS. AIが生成した画像の評価
- AIの創作物は「人間に理解できる」「人間が到達できる」創作の延長線上でしかない?
- AIに「「脳ミソに理解できないもの」を創ることと「脳ミソに理解できないこと」を人間に伝えること」を期待してもよいのではないか?
- 「人間にはできないこと」を人間が認識できるか?
- 法的な整備:AIの「倫理」(著作権等)